7/12

希死念慮が激しかったけどユタカでなにもかんがえずに(それは嘘)買い物して過食したらちょっと収まった。死ぬかと思った。

生きるのに向いていない。夢の中で連続殺人犯になってしまい逃亡中の私すら、死が最善策だと理解しているのに死ねなかった。夢から覚めて、一生死ねそうにないなと思った。天寿をまっとうするしかない。

それでも、選択肢の中に常に死がある状態はしんどい。受験のときは(と客観視できるほど昔でもないが)不甲斐なさや希死念慮や暴力的な情緒に身を任せてたまに頭部を殴っていた。自分で。拳で強く何度も殴って、頭がぼうっとして、このまま脳震盪でも起こして死なないかなと半分本気で思っていた。今でも気を抜いたら本気で同じことをすると思う。夏芙蓉のマイコ(名前が合っているか自信がない。他の三人の名前は思い出せない)の死因はたしか脳震盪で、彼女だけ事故の翌日に死ぬ。私も時間差で死なないかなと思っていた。たまにふらふらした感覚が抜けないことがあって、今度は本当に死んでしまうんじゃないかと心配になった。生存本能は厄介だ。死にたいけど死にたくない。痛いのは怖い。自殺未遂をして表舞台から引退したいが、自殺未遂なんて中途半端なところを狙ったら全身麻痺の植物人間とかになりそうで嫌だ。

生きてるだけで偉いよと、祈りのように言ったり言われたりすることがある。私はこの言葉が結構好きだし、言われても本気にはできないけど、この人が私のことをそれだけ大事に思ってくれてるんだと分かって少し嬉しくなる。それでも、生きてるだけで偉いなんて真っ赤な嘘だよなと思う。本当は生きているだけで褒められることなんてないし、生きていれば義務や期待を背負わされる。生きるのはとても苦しい。私が望んでこの世に生まれ落ちたわけでもないのに、生きているだけだとむしろ非人扱いされる。この世は地獄だ。

 

さいきんあまり良い夢を見ない。友達間で、追われる夢の話になって、殺人鬼やら妖怪やらバリエーションがある中で、私が追われることが多いのは熊やら虎やらの肉食獣だと話して皆で笑ったことがある。恐怖の対象が野生児。先日山の中で狼かなにかに追われる夢を見て、いつしかしたそんな話題を思い出した。狼から逃げた先の建物は少年自然の家のような施設で、高校の友達がいた。近頃人間関係を整理したくて(これは嫌いな人間がいたとかそういう話ではなくて、もう私があらゆる人間と話すのが億劫なくらいどん底になってしまっているだけだ)、ツイッターを引退したりしたけど、顔を合わせるとちょっとほっとするな、と夢ながら冷静に思った。もしかすると目覚めてから得た感想だったかもしれない。

同室の人がよく夢に出てくる。現実の彼女とはそれなりに良好な関係を築いているはずなんだけど、彼女が夢に出てくるとたいてい私は彼女に怒られていたり、彼女を見て劣等感にさいなまれていたりする。私の中でどうやら同室の人は勤勉さの象徴らしい。私は同じ部屋で授業時間に昼寝をして、彼女が活動している間も死にたくて丸まって泣いている。

いよいよ母親とうまくいっていない。大人になると親に感謝の気持が生まれて、反抗していたことを後悔するようになるとよく聞くが、その兆候は未だにない。むしろ、受験というわかりやすく多大なストレス源が去っていったにも関わらず、そして別居しているにも関わらず、母親とのズレを感じて、電話が自傷のように感じられる。別居したからズレをより冷静に感じられるのか。もっとも母親は私とうまくいっていないとは思っていないだろう。母親の中でうまくいっていないのは私一人だけだ(間違ってないけど)。母親も祖母のことが大して好きでなさそうだから、遺伝だと思う。私が娘を生んでも多分母娘関係はうまくいかない。子どもを生みたくない理由の一つだ。母はいまだにエリートとかそういう言葉を使う。昨日は、将来のエリートばっかりなんだから、仕事をするときのためにも友達をつくって人脈づくりをしたらいいじゃん、というような話をされた。うるさい。私は働くつもりはない。死ぬかフリーターになるか結婚する。あなたは多分結婚できなさそうだからといった話を笑ってされる。私が異性嫌悪の話しかしないのが悪いのだけど、頑張って乗り越えようとしてるから、母親が思うほど状況は悪くない。でも、何度も、結婚できなさそうだから、と言われる。前は本気にしてたけど、結婚の道がなくもなさそうな今、それは推測じゃなくて母親の願望なんじゃないかと思う。結婚してエリートのレールから外れるのではなくて、エリートへの道を邁進してほしいんじゃないかと思う。母親は結局私の幸せについて、考えていると思っているだろうけど実は考えられていなくて、無意識なのか何なのか、私の顔をしていない彼女の娘という概念が、富と名声を手に入れることばかりを考えている。

高校に入ってから、どのくらいの期間か忘れたけど、希死念慮が訪れなかった時期がある。中学のときあれだけ死にたかったのに。提出物も出せるようになったし、成績もまあまあよくて、中学の時は精神的にも学力的にも余裕がないのに部活で放課後をつぶしていたことが希死念慮を形成していたんだなと思った。正解かどうかはわからない。

そういった環境的な負荷で死にたい生活になることはあると思うから、今もどこかしらに希死念慮の原因があるのかもしれないけど、希死念慮ど真ん中の現在の自分では分からない。やっぱり寮が向いてないのかなあ。それか一人暮らしが向いてないのか。この薄暗く涼しい部屋が悪いのか。友達がいないのがダメなのか。わからない。とにかく苦しい。でも休学したところで結婚はできないし、母親と実家で二人で暮らすのもきっと苦しいし、たぶん母親は「休学も許せる」というポーズをとって私を踏みとどまらせたいだけだからいざ休学したら私を許せなくなるんじゃないかと思うし(この間実家に帰ったとき実感した それ以来いっそう精神が不調な気がする)、もうどこにも逃げ場はなくて、微かな希望をつなぐことはできるけど、このたよりない気まぐれな蜘蛛の糸が切れたら、ほんとうに、どうすればいいか、わからない。